Le rat mouillé

加藤美南ちゃん(NGT48)と新潟についての愛をまき散らすブログ(予定)。

新春・久保アラーナ詣で2017 LM@四季劇場[夏]2017-1-8M


これまでに見たキャストがかなり偏っており、今回いろいろ新しい気持ちでの観劇となってとても楽しかったので、感想を書く。


先ずもって、小林アリエル初見()



小林アリエル

声が綺麗で大人っぽいけど、普段の仕草やセリフは末っ子、だけど意志の強さが大人。子供っぽいようでいて大人。そしてただ意志が強いだけじゃなくて、主張に確固たる根拠が感じられるという意味の、(我の)強さ。「人間はそんなじゃない」と、真実を見透かすかのように。信じきっているというか。人間を知っているかのように。なので物語の前に人間との間に何かあったんだろうかと感じた。アニメは知らないのだけど、原作だと何かエピあるの?

なんだか、すごく共感できるアリエル。そういう見方をするの初めてだ。

「人間はそんなじゃない」「こんな素敵なものを生み出す世界、悪いところだなんて〜」という主張が、人間への憧れというよりも、アリエル自身のものの考え方なんだなと感じる演技だった。だからこそ、それを否定されるのは人格否定にも繋がっているように感じたのかなと。だから本当に辛かっただろうなと。「もしも」のあたりは見ていて辛かった。


可愛いけど大人っぽい、はジェリロの時にも感じたので、元々の小林さんの持つ雰囲気かな。


トリトン

小林アリエルとの組み合わせによって、もどかしい苦悩がより見えて辛かった。まさかハッピーの代名詞のようなLMを見ながらこんなに苦しくなるとは。
怒りの矛先を、見たこともない「人間」に向けるしかなかった虚しさ。そして、それが正しいこととも思いきれない葛藤も感じた。「もしも」の前のシーン。

葛藤って、いいよな………


嶋野フランダー


良いショタ。



山田エリック

とりあえず快適な観劇のためにTwitterアカウントはブロックして、*1 準備万端。


赤ちゃんのようなむきたてたまごなのに、声が野太くてまずひるむ。
「理想の女性」に対するセリフのニュアンスは、リアリストっぽいイメージ。夢物語なのを自覚しているというか。だからこそ、アリエルと(間接的に)出会った時の感動たるや。良かったね。
やんちゃ系に感じたけど竹内エリックの血筋なんだろうか?ちなみに1/8MのKTGは肩ポン→頬ツン。(あれ、ここだよね?パターンあるのって。)
やんちゃ系に感じたこともあり、その仕草がすごく似合ってた。小林アリエルも(個人的には)大人なのにやんちゃっぽいところが可愛かったので、その意外性が、お似合いだな〜と。


ついでに玉木エリックの話

というか玉木エリックめちゃめちゃ好きだったんだけど語る機会を逃した。ラストの「君だったんだね!」の、“わかっていたよ、そうだろうと信じていたよ”的な感無量が溢れんばかりの優しい声が好きだった。「あの声」が聞こえた時の「どうかしてるね…」も、アリエルの前でそんな反応をしてしまったことに対する反省が強く見えたかな。どちらかというと「あの声」よりかは目の前のアリエルを大切にしている印象だった。アリエルありきのあの声。あの声に惹かれるのは、あの声がアリエルの声じゃないかと本能で感じているからかな、みたいな。そして穏やかで落ち着いてる玉木エリックが、「一歩ずつ」で三平アリエルにつられて童心に帰る感じが好きだった。玉木エリックのKTG選手権は蛍バージョンがぶっちぎり優勝。





今、名古屋か………





*2







推しのお姫さんは相変わらずコンテスト優勝だよ。まあアリエルいるから1位なしの2位でも可。(生産性のない妄想)

次のキャス変で久保さんは抜けてしまわれましたとさ。めでたしめでたし。



以上。
他担(演目的な意味で)が語ってすいませんでした。

*1:個人的に劇団四季の舞台はある程度「中の人などいない」のスタンスを保っていて欲しいため。(中の人の露出はたまのアルプで丁度いい。)まあ同役俳優の芝居と比べていろいろ考えるのは好きなのでお前どっちだよって話なんだけど、私的にはそれは別。そもそも山田さんは団員ではなく、こっちでブロればそれで済むので良い。たまに団員のアカがRTで回ってくると、「それ大丈夫?会社に管理してもらってるの?俳優としてやってるの?リアアカなの?もろ本名で仕事内容に触れてるけど大丈夫?リアアカと仕事アカの区別くらい付けたほうが良いのでは?」と小姑みたいな心配をしながらブロックしてる。四季さん把握してるのかな、してるならいいけど

*2:玉木エリックが1月2週目キャス変で名古屋LMにイン

王子とこじき@静岡市民文化会館 2017-1-7

合法キャス変の日に見た時は、高野前田ペアになっていたような…?途中で変わって、クリスマスから引き続き小松木内ペア。
今日のチケットは、ノートルダム先行とファミミュ先行が重なった日に取ったものです。(根に持つ)



静岡駅にありました。


小松エドワード

ねえええええ本当に良かった。良かった本当に。クリスマス付近と全然違くなってて、というかそもそも今まで観たことのなかった小松エドワードだなと感じた。

クリスマスおじこじからうっすらと、高野エドワード的な優しさとか深い御心が付加されたなと思っていたのだけど、それがより立っている + 深い勇ましさが凄い。強い。強いんだけど、今までと性質の違う強さを感じる。深みというか。マイルドというか。ワイルドも地球の裏側じゃマイルドになるのです。*1


あともう一つ思ったのは、ヘンリー8世が亡くなった後のシーンで、「国王エドワード」と名乗る時の「国王」のウェイトが少し重かったこと。悲しみの中でも、静かに自覚しているのが強いし切ない。強くなってしまった感。(2週間ぶりn度目) *2


確かに、ユーゴーの「世の中の情勢を理解してるじゃないか」(ニュアンス)的な発言に繋がる布石としてウェイトを置いたのもあるだろうけど、それだけじゃなくて!!そうじゃなくて!!エドワードがあの状況でも冷静に自覚を持っている様が、これぞ王の風格で。ときめきが止まらなかった。


しかしやっぱり歯を見せて笑ってくれるシーンは観てるだけで泣きそうになるな〜。カテコの悪戯っぽいニヤリ顔も。トムと並んでる時にそれされるとさ〜トムと一緒に遊べて良かったね〜エドワードだってまだ子どもだもんね😭😭😭ってなってたまごボーロをお口に詰め込みたくなるわけです。しかしそんなことはできないわけです。天真爛漫でドシっと構えててくれる木内トムがいるおかげで、小松エドワードに幸せでいて欲しいと願う私の願望が満たされるわけです。ありがとう木内トム。


そんなこんなでマイルドかつ深みもあるけど、すぐ演説し始める感は健在で大変可愛らしく、思わずニンマリ。ショタみも失われていないのでおじこじショタコン勢の方はご安心ください。自分以外にいるかどうかは知りません。いたらお友達になってください。



そして前回のとき台詞が言いづらそうとブログに書いた件、まあ小松さんはもともとハッキリ発音する方だとは思うけど、無声音(サ行とかカ行)と促音の混ざる言葉が特にハッキリしすぎてて逆に言いづらそうで。今日はそこまでではなかった、というかそこを経たから今日の感じになったんだろうなと思うのでもう何も言えないわ〜という素晴らしさ。
今日の観て、あーあのとき本当はこうしたかったのだろうか、と納得。妄想だけど。まあ前回言うても2週間前とかだけど。



手を差し伸べるシーンの件

[差し伸べる側→手を取る側]

①冒頭シーンで、一緒に踊り始める時
エドワードトム

戴冠式で、上手で囚われているエドワードをトムが解放するシーン
トムエドワード

③カテコラスト
エドワードトム


勘定してないシーンがいくつかあるけど。でもこの流れめちゃめちゃアツくない?!
最初は、貧しいトムにエドワードが優しくしてあげて。そのエドワードが窮地に陥るとトムが助けて。カテコはやっぱりエドワードがリードして、トムがそれをニコニコして応える関係性。尊い。


木内トムのエンターテイナーっぷり、ますますキレッキレ。ただ、コメディ部分だけでなく、ちょっとしたところでも発言の背景が透けて見えるような言い方になっていってて、こちらの想像を掻き立てる。エドワードに夕方までここにいろと言われた時の「夕方まで?」も明らかに貰い上げを心配している様子が見えたりとか。

川地ユーゴーについて

それを言うと、川地ユーゴーにも同じことをちょっと前から感じていて。コメディの部分では、「お前(くるくる)これか!」の言い方とか、くしゃみの後の「はっくしょいカレーライス○%☆$÷#〜」とか。(笑)
それ以外の真剣な場面でも、「貧乏人の味方になってくれるか?」の言い方が重くて。そこで、この台詞もストーリーの根幹に関わってるんだなぁと気付いた。今日。(遅い)

内田ハーフォードが

田中セントジョンがゆるキャラなのは相変わらずなのだけど(登場の仕方だけで笑いを取れるそのセンスが凄い)、今日はあの内田ハーフォードが。ペコペコナンバー(の前?)で帽子が脱げて、被り直したあとも帽子をちょいちょい気にしていてこちらも気が気ではなかった。しかし素の頭のハーフォード様も乙なものでした。被り直した後は、前髪がひょっこり出てて可愛らしいことになってしまっており、帽子が落ちないかの心配もあって、恐ろしいはずの大印章ナンバーはハラハラドキドキでした。

涼太マイルス

「よしましょう」「戴冠式へ出るのをです」が、静かで穏やかな言い方に。

すごい今更なことかもしれないけど、
エドワードがマイルスに「信じられない」と言われても腹が立たないのは、国王という「身分」は信じてなくともエドワードという「その人自身」のことを有り余るくらい信じているのを、エドワードが身に染みて感じているからこそだよな〜と。ここのところの、エドワードを無条件にお慕い申し上げている最近の涼太マイルスを観ていてそう気付いた。あれだけ真っ直ぐに信頼を置かれたらそりゃエドワードも穏やかでいられるよ。あと今日は小松エドワードの「マイルス!」という呼び方も暖かく優しくて、信頼している様子がよく見えたので、なおさら。

エスメラルダの対カジモドも、太線部分に近いなと思う。他演目の話しでさーせん、最近ノートルダムからのおじこじ観劇が多いので、ついそんなことを思った。

高瀬泥棒ちゃん

歌声が絶好調なのかビシビシ来た〜嬉しい〜まともに歌ソロもないからユニゾンでしか聴けんし…でも歌えないと出来ない枠なんかね、踊れるガチ歌枠多くない?1枠。

席の関係で、帳簿付け前の寝そべっちゃうところは見えなかったんだけど、声だけ「つかれたァ〜〜〜」だの「ヤダー!ヤダー!」だの言ってるのが聞こえて萌え散らかしてた。元気があってよろしい。
そしてアダのニワトリにじゃれつく高瀬泥棒ちゃんがただただ可愛さの暴力装置。そういえば小平ではやってなかったね。ロリ枠こと1枠泥棒ちゃんご馳走さまです。

1枠を幼女枠と断定してるけど高瀬泥棒ちゃん最初はそこまで幼女じゃなかったしそもそも田代1枠からの流れで言ってるだけで片山さんとか苅谷さんとかの記憶がすっ飛んでるので私は発言の責任を持ちません(最低)

余談



→「絵のない版画の本」でした。
フォロワさんに教えて頂きました。ありがとうございます。

てっきりずっと漫画の本だと思っていたしそのままにしてたらずっと違和感を持ちながら観ることになったんだろうなと思うと…テキトーなことも言ってみるものである(反省の色無し)




以上です。

*1: Sexy Zone - Sexy Zone - 歌詞 : 歌ネット

*2:ちなみに初めておじこじに通ってた期間がしょりソロコン通いとモロ被りしていて、その頃は勝利さんと小松エドワードを重ねてしまっていたのでした。ショタみとか、強くなってしまった感とか。守山エドワードは重ならないんだけど、小松エドワードがどうしても重なって。というのを、静岡に着いた瞬間に発見したハルチカポスターを観て思い出した。という、今だから言える話です。これは当時の話であり、ヘンリーという父親が亡くなってしまう云々について、現実で起こった事に絡めて言及しているわけではありません。

ノートルダムの鐘@四季劇場[秋] 2017-1-4S


あけましておめでとうございます。ことよろ。というわけでノートル初め🎍


偶然にも、まあまあ交互に観れておりますがワイスクロパンが未だ観られてない。

というわけで。



  • 闇属性 佐久間フィーバス

ビジュアルを武器に出来る役者は強い。身も蓋もないけど。叶わん。カッコいいもんね、まず顔が。

そして外見がカッコいいだけでなく、あのビジュアルと佐久間フィーバスのキャラが相互作用というか、とてもマッチしてると思う。深みが感じられて、とても良い。

席的な問題もあるかもだけど、佐久間フィーバスはセンシティブだな、というのがファーストインプレッション。「隠しきれない心の傷」が強く感じた。冒頭の気怠げ息抜き感と、戦場フラッシュバックしてる時の表情の落差。清水フィーバスは何とか打ち勝とうと頑張ってるイメージだったんだけど、佐久間フィーバスは繊細というか。その分、サムデイ?っていうの?牢屋のエスメラルダとのシーンが切ない。一言で言うと、「諦念」という印象をより強く受ける。
今まで諦念という言葉を字面だけ見てテキトーに使っていたけど、改めて調べると「道理をさとる心」「真理を諦観する心」*1とあり、


まじそれな。


清水フィーバスは熱いし強いし心がゴリゴリの男前だから「清水フィーバスなら……清水フィーバスなら何とかしてくれる……」みたいな一筋の希望を捨て切れない上でのあの展開なので、また違う意味で切ない。何にせよ、結局そういう宿命なのが。

それにしてもフィーバスは本当に良キャラだな〜!信念を曲げない。1幕登場時から。ジプシーに偏見がないのは、増してあの時代設定だから本当に強い人なんだろうなと思う。差別ダメとか平和な世とか盛んに叫ばれてる現代でだって難しいでしょ。

そしてエスメラルダがフロローのものになってでも、命だけは、と最後の最後で自分の心の一部分に蓋をするのがつら。ある意味では信念を曲げてないけど、信念を曲げないために心を曲げるのもつらい話。


台詞回しに関しては、清水フィーバスで聞き取りづらいところは佐久間フィーバスで聞き取れる、佐久間フィーバスで聞き取りづらいところは清水フィーバスで聞き取れる。

  • エスメラルダの話

岡村エスメラルダがアガペー中のアガペーだとすると、宮田エスメラルダはエロス寄りのアガペー的な印象なんだけど詳しく知らんくせに付け焼き刃の知識だけでそういう用語使って申し訳ない、一応意味は調べた上でしっくり来たのだ。どちらにせよ、エスメラルダの愛は優しく降り注ぐ雨のようだなと改めて思いました。急にポエムる。


そういえばこの作品は台詞に聖母マリアが出てくるのでマリア信仰?はカトリックなんだっけ?と思って調べたらそもそも時代が15世紀だから宗教改革前でしたてへぺろ。本当に無知だからこういうきっかけで色々知れて良かった。お勉強しておきます…


  • 海宝・達郎両名の比較からカジモドを考えたい

海宝カジモドが近視0.1もなくて、達郎カジモドが遠視と乱視拗らせてる感じ。(舞台上での仕草とかではなく、あくまでストーリー上のカジモドの変化イメージ。)まあレーシックという手段もあるが。リスクはともかく。それ含め、そういう感じ。

カジモドに関して、まだあまり具体的な言葉に出来ない…。


海宝カジモドは全編通して石像の前や歌声もずっと歪んだままだから、最後までカジモドの純粋さが保たれる割合多めに感じて、達郎カジモドはフロローや他人の前と石像の前と歌と、大まかに3段階?あるから、心が人間臭く歪んでいく過程を多めに感じる。その配分は今後出てくるカジモドの役者それぞれで異なってくるんだろうな。そこが一番印象を左右する気がする。フロローもそうだけど。ていうか歪んでるから純粋さを感じるってとんでもない皮肉…だからなんか可哀想に思ってしまうんだ、胸が痛い。
そして表題に関する結論はまだ出ていない。

  • よしつぐクロパン

改めまして、一度仲間と認めた相手のことは命を懸けて助けに行くのカッコよくないわけない。2幕終盤フィーバスを助ける英雄クロパンさんのシーンは上手バルコニーでサラッと流されるけどあそこは中々の胸熱ポイントよな………

よしつぐクロパンの慈悲はマリアナ海溝より深い。扶養に入りたさがヤバい。(スリ行為はNO)




ワイスクロパンも観たいなぁ。チケットがないなぁ。





というわけで。


以上。