ノートルダムの鐘@四季劇場[秋] 2017-1-4S
あけましておめでとうございます。ことよろ。というわけでノートル初め🎍
偶然にも、まあまあ交互に観れておりますがワイスクロパンが未だ観られてない。
というわけで。
- 闇属性 佐久間フィーバス
ビジュアルを武器に出来る役者は強い。身も蓋もないけど。叶わん。カッコいいもんね、まず顔が。
そして外見がカッコいいだけでなく、あのビジュアルと佐久間フィーバスのキャラが相互作用というか、とてもマッチしてると思う。深みが感じられて、とても良い。
席的な問題もあるかもだけど、佐久間フィーバスはセンシティブだな、というのがファーストインプレッション。「隠しきれない心の傷」が強く感じた。冒頭の気怠げ息抜き感と、戦場フラッシュバックしてる時の表情の落差。清水フィーバスは何とか打ち勝とうと頑張ってるイメージだったんだけど、佐久間フィーバスは繊細というか。その分、サムデイ?っていうの?牢屋のエスメラルダとのシーンが切ない。一言で言うと、「諦念」という印象をより強く受ける。
今まで諦念という言葉を字面だけ見てテキトーに使っていたけど、改めて調べると「道理をさとる心」「真理を諦観する心」*1とあり、
まじそれな。
清水フィーバスは熱いし強いし心がゴリゴリの男前だから「清水フィーバスなら……清水フィーバスなら何とかしてくれる……」みたいな一筋の希望を捨て切れない上でのあの展開なので、また違う意味で切ない。何にせよ、結局そういう宿命なのが。
それにしてもフィーバスは本当に良キャラだな〜!信念を曲げない。1幕登場時から。ジプシーに偏見がないのは、増してあの時代設定だから本当に強い人なんだろうなと思う。差別ダメとか平和な世とか盛んに叫ばれてる現代でだって難しいでしょ。
そしてエスメラルダがフロローのものになってでも、命だけは、と最後の最後で自分の心の一部分に蓋をするのがつら。ある意味では信念を曲げてないけど、信念を曲げないために心を曲げるのもつらい話。
台詞回しに関しては、清水フィーバスで聞き取りづらいところは佐久間フィーバスで聞き取れる、佐久間フィーバスで聞き取りづらいところは清水フィーバスで聞き取れる。
- エスメラルダの話
岡村エスメラルダがアガペー中のアガペーだとすると、宮田エスメラルダはエロス寄りのアガペー的な印象なんだけど詳しく知らんくせに付け焼き刃の知識だけでそういう用語使って申し訳ない、一応意味は調べた上でしっくり来たのだ。どちらにせよ、エスメラルダの愛は優しく降り注ぐ雨のようだなと改めて思いました。急にポエムる。
そういえばこの作品は台詞に聖母マリアが出てくるのでマリア信仰?はカトリックなんだっけ?と思って調べたらそもそも時代が15世紀だから宗教改革前でしたてへぺろ。本当に無知だからこういうきっかけで色々知れて良かった。お勉強しておきます…
- 海宝・達郎両名の比較からカジモドを考えたい
海宝カジモドが近視0.1もなくて、達郎カジモドが遠視と乱視拗らせてる感じ。(舞台上での仕草とかではなく、あくまでストーリー上のカジモドの変化イメージ。)まあレーシックという手段もあるが。リスクはともかく。それ含め、そういう感じ。
カジモドに関して、まだあまり具体的な言葉に出来ない…。
海宝カジモドは全編通して石像の前や歌声もずっと歪んだままだから、最後までカジモドの純粋さが保たれる割合多めに感じて、達郎カジモドはフロローや他人の前と石像の前と歌と、大まかに3段階?あるから、心が人間臭く歪んでいく過程を多めに感じる。その配分は今後出てくるカジモドの役者それぞれで異なってくるんだろうな。そこが一番印象を左右する気がする。フロローもそうだけど。ていうか歪んでるから純粋さを感じるってとんでもない皮肉…だからなんか可哀想に思ってしまうんだ、胸が痛い。
そして表題に関する結論はまだ出ていない。
- よしつぐクロパン
改めまして、一度仲間と認めた相手のことは命を懸けて助けに行くのカッコよくないわけない。2幕終盤フィーバスを助ける英雄クロパンさんのシーンは上手バルコニーでサラッと流されるけどあそこは中々の胸熱ポイントよな………
よしつぐクロパンの慈悲はマリアナ海溝より深い。扶養に入りたさがヤバい。(スリ行為はNO)
ワイスクロパンも観たいなぁ。チケットがないなぁ。
というわけで。
以上。