Le rat mouillé

加藤美南ちゃん(NGT48)と新潟についての愛をまき散らすブログ(予定)。

ノートルダムの鐘@四季劇場[秋]2016-12-14S


11月頭にサイゴン観て以来とかなので、実に1ヶ月ぶりくらいの観劇。



感想書きます。
普通にネタバレます。
原作もアニメも見てないので、キャストの感想などと混ざっている可能性。
だいぶ頓珍漢だったり勘違いだったりしてるかも(予防線)。










まずアンサンブル大活躍すぎ贅沢すぎで、これからロングラン保てるんか〜?と心配してしまうくらい重要どころだったんだけど、逆にこれは劇団四季の強みを最大に活かせている演目なのかもしれない。メインの役をやろうが何しようがアンサンブルにも入る!フィルマンもフィルマンもアンドレもカーラもアンサンブルに入る!とはいえデビューも楽しみだな。



物語の展開は、メタ表現?と言っていいの?そういう演出が多くて、めまぐるしい。ストプレをあまり見たことがないからか、ついていくのに必死だった。ついていくのに必死=引き込まれている、ということであるからして…。


もう一回、ゆっくり観たいと思う。
※ただしチケットは




  • カジモド

ラストをどう捉えていいのか?純粋な子が外に出て傷ついて、エスメラルダと出会って、優しさや喜びを知って、嘘を覚えて、また傷ついて、死ぬ気でエスメラルダを救って、でも救えなくて、人を殺める。

カジモドは許されるのか?

ラストで振り返ると醜さを表していたメイクが落とされて、すっぴん状態になる演出について。
アンサンブルや他のキャスト全員があの醜さを表すメイクを施し、カジモドだけがすっぴんになるアベコベ、容姿は醜くても心が綺麗云々を伝えたいのかなと感じたんだけど、でも、カジモドは許されるのか?話が進むにつれて人間らしくなっていく印象を受けたので、どう捉えてよいのか、と思った。これ頓珍漢なこと言ってるかも。

演出については、最後の締めの台詞を半分「カジモドではない人物」として喋るためもあると思うので一概には言えないか。

というか、「どう違うのか?」(ニュアンス)という歌詞が続くので、純粋だったカジモドでも心の闇はある(生まれる)という話か。


あと、石像たちを信じられなくなったというのは、自分自身を信じられなくなったということだよね?メイドオブストーン可哀想すぎて苦しい。1幕のどこかでエスメラルダがカジモドのことを“大人”と表現していたけど私は「大人になんか、なるな…」と思っていた。


そして、サンクチュアリを失い人を殺めたカジモドは、残りの時間をどんな思いで過ごしたんだろうな、と考えてしまう。


それは前半シーンが純粋であれば純粋であるほど、そう感じるんだろうな。関係ないけど暫定マイベストカワイイカジモドはエスメラルダに力持ちねと言われて『そうだよ(照)』と満更でもなさそうに言うカジモドです。ご主人様好きなのも透けてて可愛い。次点で、フィーバスの身を隠す際に必死すぎて雑に扱うカジモド。(劇中唯一笑いが起こったシーン)


海宝カジモドのキャラなのか、中身はもちろん身体の使い方も繊細に見えたので、力持ちパワー系な印象はあまり受けなくてラストの突落し直前は「まさか芝フロロー持ち上げるの…?」と思いながら見ていた。海宝さん身軽そう。マリウス(役)でしか見たことなかったのでよく知らないのだけど。


そして早速もう達郎カジモドが見たい(聴きたい)。



一番のお気に入り:エスメラルダ救出後、サンクチュアリ!と叫ぶシーン




  • エスメラルダ

岡村美南さんはエスメラルダを演るために生まれてきたに違いない。

あのオーデ写真が出た瞬間からこの時が来るのはわかっていたこと感。

エスメラルダの、強いけど頑なな強さではなく、しなやかなバネのある強さ。岡村さんの美しい肢体による蠱惑的な舞、空気を突き通す声。

「頑なではなくしなやかな強さ」というのは、これから火炙りにされるという時でも信念を曲げない(フロローにツバを吐いてみせるところとか)けど、炙られているときの辛そうな様子が素直で感情的だったところから。

亡くなるときまで美しくて辛い。
悲劇は芸術の母。*1


ノートルダム」はフランス語で「私達の貴婦人」、つまり聖母マリアのことだそうで*2 (無知なので初めて知った…)。
ガチなキリスト教圏ではどうか知らないけど、「聖母」って心が清らかで正しい女性の表現として馴染み深いので、ある意味タイトルロール的な人物だなぁ、と。



一番のお気に入り:亡くなったあと、舞台後方へ去っていく姿


(その奥のこの世ならざる空間のような演出含む)






  • フィーバス

好き。(軽率)

愛のために全てを投げ打つ系のキャラ、好きじゃないわけがない。



エスメラルダ救出作戦の、フィーバスとカジモドコンビの協力体制が切なくて可愛くて好き。



清水さんのこと初めて拝見したけど、




と書こうとしたけどシェフルイで観たなと思い出して、キャラ幅の限界値超えすぎてメーターぶっ壊れてんな?!と叫んでたところです。(エリックをおやりになった時点でそうなんですけど)
わたし多分、清水フィーバスはちゃめちゃに好き。好きすぎて、まだ言葉にできない。


一番のお気に入り : 2幕終盤、エスメラルダの牢屋のシーン


ここ、エスメラルダとのやりとりはもちろんだけど、フレデリックとフィーバスのやりとりが素敵すぎて切なくて好き。
とっくの間に隊長ではないむしろ囚人の身なフィーバスを、何の違和感もなく「隊長!」と呼ぶ部下フレデリック。自分の立場も危うくなるだろうに、フィーバスのために動くフレデリック。切ない、素敵。(フレデリックは1枠(鈴本さん) かな)


そして、“エスメラルダの命さえあれば”という立場を取るフィーバスが切ない。無益な戦の中でどれだけ心を殺してきたのだろう。




  • クロパン

「あと何年かは落ち着けると思ったのに…」(ニュアンス)
という台詞が印象に残ってる。気にせず飄々としてるように見えて本当は気にしてるというか。

何かのキャラ紹介を読んで明るく陽気なイメージを持っていたんだけど(何でだろ)、実際見ると飄々としつつギラギラでおっかない感じ?だなと思った、あんまり笑わないし。その性格形成にいたる過程も少し透けて見えるように感じた。
よしつぐクロパン出てくると雰囲気が締まるな〜。ピリッと緊張感が生まれる。

トプシーターヴィーはめちゃめちゃ楽しい。ビビデバビデブー並みにトプシーターヴィー叫びたい。(叫びません)



  • フロロー

バックグラウンドが一番丁寧に描かれるキャラだから、どうしても感情移入してしまう。
なので、「カジモドは許されるのか?」と思った反面、「フロローは許されないのか?」とまで思ってしまった。許されないとはわかるんだけど。

愛を拗らせているのを自覚出来ずに排除しようとしてしまったような。自分の中の正義に押し潰されてしまったような。「石像の視線を感じる」というのは、その暗喩かな?
いろんな意味で、憐れむべき人だなと思った。

ただの、一人の弱い男なんだよな〜。と思う。弟*3とのエピも相まって、あんまり悪く思えない。

芝フロロー、良かった。

芝さんはユダのイメージだったりファントムの高音のハリ感が印象深い反面、トリトンで見た時に低音の響きが良かったのも印象に残っていて。フロローも低音の響きで客席を圧死させそうな勢いがある。
罪の炎のラスト、クワイヤの勢いと合わせて音の波が凄くてもう何が起こっているのか?という状況。

死ぬシーンでは、それこそ後ろでズドンと何が起こったのかわからないくらい勢いよく落ちるアレがすごく印象的。



  • アンサンブル

めまぐるしい。舞台の上で役割がコロコロ変化していく。ので、頭を使う。

そして聖アフロディジアスだったり神父さんだったり先述のフロローの弟だったり、アンサンブルも重要なソロが多い。あとフレデリックも。


平良さんやサトケイさんや賀山さんや吉田(絢)さんや吉田(功)さんやらオペラ座の面々が大集結しているのでオペラ座クラスタは是非。

そういえばクワイヤに永井さん見当たらないなと思ったらこの日は出てなかった。そりゃいないわ。


あと、スリ(3枠(大空さん) )がひとくだり終わった後もさり気なく他の人からスったりしてたので、回数重ねたら細かいところを見るのも面白いんだろうな。



ノートルダムは本当にアンサンブルが大活躍だし贅沢な面々だし、本当に一人ひとりが重要になってくる演目だなぁと。もしかしたら全員が主役の舞台とはこういうことを指すのかもしれない。(帝劇方面をチラ見)




  • 完全なる余談



写真と一緒に「アイウエオイウエオアウエオアイ」の配列だったらもっと推せた」などとツイートする気まんまんだったのに!!!!!

こうなると俄然欲しくなる。





以上です。

*1: JWシリーズの台詞

*2: ノートルダム大聖堂 (パリ) - Wikipedia

*3:7枠(サトケイさん)