Le rat mouillé

加藤美南ちゃん(NGT48)と新潟についての愛をまき散らすブログ(予定)。

セク鬱を乗り越えたところで脱落した後またノコノコと出戻ったオタクのチラ裏


私が一回ヲタ休業した理由は、彼らのせいだけじゃない。他の趣味や自分の私生活もかなり影響してた。でもやっぱり、背景にはどうしてもセク鬱があった。


いわゆる“あの頃”は、自分にとって不都合なことには必死に目を逸らしながらヲタクしてた。しょり担だけどその間にリリースされたものは一つも買ってない・曲も知らないで未だにあの頃の記憶をなかったことにしようと脳みそが必死すぎてCDショップへ行った折にさんにんのしんぐるじゃけっとが置いてあるのが目に入ってこれは何だ…?ウッ、頭が…ではないけど本当に脳みそが混乱してその場で立ちすくんでしまったくらいでこの話が誇張でも何でもないあたりガチのマジでヤベェなって感じなんだけど自分でもどうしてここまでトラウマ化してるのかわからない。でも本気であの頃のアレが無理。
私は5人のセクシーしか知らない。知りたくない。認めない。
だからあの頃の記憶を消した。というか消えた。1年かけて。ジャニヲタ休業してる間に。私は本気で無理な記憶は消えていく便利な脳みそなようだ。

休業のきっかけは、逆に、5人で復活してくれたこととなってしまった。あの頃は疑心暗鬼で、「5人でやります」と言われてもどこか信じきれなかった。カラアイイベに入れてたら信じてたのかもわからないけど、レポやリリースだけで信用できる程の体力はなかったのかも。
何より、本人たちの言葉を信じてあげられない自分に苛立った。そんなオタクの存在価値とは?と思った。本人たちが諦めてないから私も諦めずに来たというのに、今度は本人たちの言葉を信じてあげられないなど。そして、辞めた。


それから1年くらいして、ひょんなことからまたゆるゆると追うようになって(なので休業期間短いw)。1年置くと嫌な記憶も思い出さなくなり、自分でもいい感じに記憶を喪失出来たなぁ〜と思ってた。5人での再出発となったウェルセクツアーを円盤で見たけど、まあ私は5人のセクシーしか知らないから、5人で当然だった。エモい?エモくなんかない。それが当たり前なんだ、私の中では。


久しぶりに入った今回の5TAGEツアーも、基本的にはそんなスタンスだった。

今回のツアーはスキル面の成長やセトリ構成力・演出力などで死ぬほど感動させられた。死ぬほど楽しかった。入る予定のなかった公演も増やした。気付いたら福岡以外すべての会場に行ってた。福岡も土日なら飛んでた。

でも、5人で当然という頭だから、「以前の体制ではあり得なかったことが出来るようになった」ことへの感動はさしてなかった。
“あの頃”以前からあった格差(もちろん、アイドルを売るにあたりそうした戦略が必要なのもわかる、そもそも私は女子ドル畑出身だし)のことも、全部忘れたはずだった。


5/6 2部の挨拶で、健人くんが珍しく、あの頃について言及した。そして風磨くんが踏み込んで言葉にした。

風磨くんについては、自分の入らなかった公演で踏み込んで言及してたレポは読んだけど、私自身は初めて聞いた。

何故か、封印してた記憶が蘇った。キツかった。

必死で見ないフリしてたのに見てしまった辛い色々。記憶と涙が込み上げた。


何もない5年より何かがあった5年の方が厚みが出て良い的なことを風磨くんは言ったけど、その“何か”がセク鬱である必要は絶対になかったし、完全に水に流すのは難しいことだと思う。

もしも、本人たちが必要だったというなら、本人たちには必要だったのかもしれない。しょりやマリが具体的に語ってたことも読んだ。(必要だったというか、それを通して学びもあったということを。)オタクにとっては確実に確実に不必要な期間だったけれど、そこに乖離が生じるのは仕方ないね。


でも、今、目の前に5人がいて。メンバーカラーに合わせてペンラを光らせて声を出す優秀な客がいて。そう思うと、この5人が尊くて、愛おしくて。


肯定はできないけど、否定はせず、今を応援して行きたいなと思う。散々目を逸らしておいて卑怯だけど、まあ楽しみ方は人それぞれだから(逃)。



話の方向性が見えなくなったけど…5/6 2部のふまけんの挨拶を通して様々なことを思い出しながら、大阪かどこかで聡ちゃんが「期待しててください」と力強く言ったのがもうそれだなと思って。


それと合わせて、勝利くんが横浜の挨拶で必ず言う「何十年先も幸せにできる自信がある」という言葉も。このメンバーならできる、という自信が何よりも嬉しい。


期待できる未来があるのって、当たり前じゃないんだな。期待できるのって、死ぬほど嬉しいんだな。泣きそう。




ということで、セク鬱を乗り越えたところで脱落してまたノコノコと出戻ったオタクが「当たり前じゃない」という「当たり前のこと」に気付いた話でした。何の話だ。



オーラス行って来ます🌹🌹🌹🌹🌹

オペラ座の怪人@ KAAT 神奈川芸術劇場 2017-3-25初日

開幕おめでとうございました。横浜オペラ座ついに初日。



諸事情によりあまり集中できなかった(後述)。


神永ラウル


デビューおめでとうございます。すごく大人で落ち着いたラウル。名古屋の涼太ラウル的な成熟した感じともちょっと違って、元々の素質が冷静沈着っぽい。

「君を思ってやったのだ」は下から入る。やっぱり一直線に入るのは涼太ラウルだけなの?別に低音苦手とかいうわけじゃなさそうなのに…何でだろう。


なまじ冷静なものだから…

ラウルはその後の人生で、包容力を持たざるを得なかった人だと思う。ので、最後は精神的に大人になる。のがスタンダードだと思ってた。

神永ラウルはあまりにも落ち着いているので、逆にその後の人生で例の一件を受け入れきれずに苦しんだり若さ故に傷付けたり傷付けられたりするのだろうなと。普段と逆のことを感じた。


私よくその後の人生がどうとか語ってるけどラブネバーなんとかの存在は無いことになっているのでよろしくで〜す




そうです墓場が三重唱になりました。
いいんですけど、クリスもラウルも真正面を向くからラウルの蚊帳の外感がなくなった。個人的には蚊帳の外感に意味を見出していたので、どう捉えるべきかは考え中。まあ歌詞的には蚊帳の外なんだけど。


演出変更でいうと、TOM転調もあり。山本クリスはこっちのが歌いやすそう!伸び伸びした高音で素敵だった。

早く久保クリスでも聴きたいな。

山本クリス

TOM転調はともかくとして、セリフのトーンが上がったので少女っぽい。聖母みは薄れたかな?少女が最後に聖母になるイメージ。演出変更に合わせてなのかな。

どうでもいいけど何かのインタビューで「クリス演るの1年以上ぶり」と仰っていたけど最後にクリスやってから1年も経ってないよ笑

佐野ファントム

信頼と実績の佐野ファントム。安心する。諸事情あって集中できなかった(後述)けど佐野ファントムのシーンはめちゃめちゃ安心して観られた(ファントムに関わる変更がさほど無かったのもあるけど)。何せ佐野ファントム育ちのオタクだから。以前、あまりにもブログでファントムをスルーしていたので「佐野ファントム様の魅力を忠実に書け!」という嘘みたいなお叱りコメントを頂戴したことがあるけど(まじで原文ママ)(こんな雑魚ブログに何を求めているのか)、私は佐野ファントム大好きだよ。個人的に、自分のオペラ座観は佐野さんの解釈に直結しているので、あえて言葉にするのは難しいんだな。


この記事の後半にある、MOTNのCis-durとAIAOYのDes-durの関係性の話。初耳だったので大変参考になった。大切なことはすべて佐野さんが教えてくれる。

支配人ズ

同級生コンビ〜!同級生だと知ったのもオペラ座のイベントだった。まだ3年前とかなのにすでに懐かしいや。

サイズ感は一緒なのに中身が正反対、というのがね、優勝ですわな🏆



オケは集団インフルにでもなったのか?

声の表情とかお芝居の部分を楽しみたいのに、気が散って仕方なかった。入りやテンポは慣れてくれば大丈夫だと思うし今回はそこの話じゃないです。オケの人が悪いのでもないと思う。

何が問題って、打楽器がほとんど聴こえなかったんだ。なので、締まりがない。金管も層薄くない?だらしないというか、曲が死んでた。悲しい。

バランスが悪くてああなったのか、そもそもそのパート自体が演奏されてなかったのかは分からない。

席的にバランスが悪く聴こえたにしても…それでも席によって曲が死んでしまうレベルでアレなのは、作品的に相当まずいんじゃないの?向こうがまずいと思ってないならちょっと困る。そりゃ多少は我慢するよ初日だから。でもそういうレベルじゃなかった。あれくらいならよくあることだから仕方ないよというのであれば、諦める!悲しい〜!悲しいよ〜!

よく見たら金管ホルン1本しかいない。逆に笑う。確かに金管で派手に鳴らすようなとこは少ないかもわからんけど…

WSSのときのオケはすごくよくて興奮したんだけどな。



この件に関しては様子見です。流石にどうにかしてくれるでしょう。


以上です。

映画『ハルチカ』における音楽的解釈について ※ネタバレあり


映画『ハルチカ』で使用される楽曲について、思ったことを書き記します。



※ネタバレします
※私は専門家ではないので間違いも多々ある、ので、教えて頂きたいです…
※他にもあったらいろいろ知りたいです教えてください…


*オリジナルテーマ「吹奏楽のための狂詩曲『春の光、夏の風』」

1.「亜麻色の髪の乙女」との関係性

主題曲イントロのメロディが、「亜麻色の髪の乙女」の上降するメロディの縮小引用のように聞こえて、まず初見時にハッとして。直感で思っただけなので、上手く説明出来ないけど。

「亜麻色の〜」はチカがフルートを志したはじまりの曲だから、このフレーズから曲が始まっているのだとしたら素敵だなと。狂詩曲という形式は「既存のメロディを引用したりすることが多い*1そうなので、そうだと思いたい。

作曲者である草壁先生がチカの話をどこまで知っていたかはわからないけど、あれだけ行間の多い作品なので、それくらいの深読みは許されるかな、と…。
ていうか楽曲解釈なんて得てしてそんなもんだよなというところあるよね〜こじつけこじつけ。(開き直り)

作曲者の中の人(小瀬村晶さん?)のお話も聞いてみたいな〜。

2.オーケストレーションについて

チカソロ前のフルートの伸ばしと一緒にグリッサンド→伸ばししてるのホルンな気がするんだけどどうだろう?チカの挑戦に寄り添い後押しするハルタ、という関係性が曲の中に見えて素敵だなと思った。いかんせん耳が節穴なもので本当にそうなのかはわからないけど、そう思いたいところ。草壁先生が楽譜に書いていた「ソロは1人という意味じゃない」というところにも繋がるなと思う。

【追記】運指も確認したらやはりGのオクターブでグリッサンド→フルートと同じ伸ばしでした。アルトサックスも入ってるかな?(【追記】いや入ってないですねメロディ吹いてますね恐らく)

【追記】あとこれも。



挙げたらキリがなくなるけど、随所に草壁先生の思いを感じる。


・持ち替えを許さない草壁先生

個々のレベル差が激しい学校の部活動において、どうにかやりくりして持ち替えて初心者をフォローするのはよくあることだと思うのだけど。
委員長さんのフルート持ち替えの申し出を却下する草壁先生の態度に、この曲は部員全員のサウンドに触発されたからこそ完成させることが出来た曲なのだというこだわりを強く感じる。

草壁先生は、コンクールのその先を見ていたんだなぁと思う。もっと大事なことがあると。……話が逸れた。


3.最後の最後に判明する楽曲構成

練習シーンも、コンクールシーンも、曲が鳴るのは途中までで、次のシーンへ移る。最後の演奏シーンで初めて全容が明らかになるわけだ。

ハルタソロから金管をはじめ打楽器木管と増えていってフルートソロに襷を渡して、チカがソロを乗り越えたところでイントロの亜麻色〜のアレ(自己解釈)を挟んでメインのテーマがドラマチックな転調でドーン来て大円団、というその流れがまさにハルチカのストーリーを表していて、本当に何度観ても感動する。よく出来てる。すごい。

・最後の無音

ラストの草壁先生、ハルタ、チカのアップで無音なのが逆に「静寂の音楽」を味わえて良いなと思った。


*サリーガーデン

1.FMはごろも版

よく考えるとリクエスト主がハルタであることを匂わせるシーンがある(後述)が、界雄の件については、わざわざクラリネットのサリーガーデンを流したことには意味があると思いたい派です。

【追記】




2.ハルタによるホルンでの演奏

ここは正直勝利くんの音が流れると思うとめちゃめちゃドキドキしてしまってシーンに集中できない/(^o^)\


3.保健室後、チカが泣いているシーンで流れるサリーガーデン

リクエスト主がハルタだとすると、ここでサリーガーデンが来るのは、チカもリクエスト主に気付いてしまったのだと解釈できる。チカの心にもう一つ重い荷物がドシンとのしかかったような…

私もハルタの悩みにこれっぽっちも気付かなかったので、把握してから観たらチカに感情移入しすぎてしまって胸が苦しかった。ハルタのそのあたりについての描写が控えめなのは、感情移入を引き出す意図もあったりしない?(開き直りリプライズ)


*「はじまりの朝」

物語序盤でチカが走るシーンから流れる「はじまりの朝」と、例のハグシーンで流れるメロディが一緒なので、2人の関係はここから始まっていくと解釈して良いのかな〜と思いました。サントラのタイトルを観たらハグシーンの曲は「ハルタとチカ」(そのまんま)だそうなので、まさにそうかなと。しかしその辺に関しては、淡すぎてわかんねーよ!!!!!という感じだけどそれくらい淡くて微妙〜〜〜な感じが映画全体を観るとバランスいいなと思う。

この記事とは話が逸れるけど、個人的にはこれだと思ってます。






ハルチカはまさしく“音楽が語る”映画だなと思う。もっと詳しく知りたいな〜。





以上です。